少年犯罪について取り上げた本は、何冊か読んできた。その度に、怖いなあと思いはすれど、やはりどういったところに原因があるかを知りたくて読むので、自分なりの見解を出すまで色々と考えてみる。もちろん、本に「こういったことが原因」という趣旨のことも書いてあるが、作者の見解によるものなので、多くの心理学、カウンセラーの本と一緒で、私は読みながら参考にし、自分の頭で考えてみる。誰だって本人でない限り、100%こういったことが原因、と分析しきれることはないからだ。そういうことを言い出すと、当の本人だって分析しているかと言えばそういうことではないだろう。ただ、なんらかの原因となる感情は持っているわけで、周りは話を聞きながら推測していくに過ぎない。
 今回は、『子どもが壊れる家』(草薙厚子著 文芸春秋社)を読んだ。
 ゲームとかインターネットを悪者にする文章は、全面的には共感できないのだが、この人のそれは、そういったことに関しても一方的に自分の意見を押し付けるわけでなく、ちゃんと「自分はこう解釈するから、こうだと思う」と、理屈を丁寧に論じていた。細かいことは、私にも独自の見解があるが、幼い頃、テレビを観ない我が子の習性を良いことに、つけっぱなしにしていたことを反省した。ただ、当時の私には逃げ場がなかった。札幌に住んでいた頃は、周りに赤ちゃんもたくさん来る公園、幾つもの児童館、月1回の保健師さんによる訪問、母親友達とお互いのウチを度々行き来、0歳児でも預かってそこの保育士さんとの会話、ということがあったものの、引っ越して田舎街に来てからは、人と会う機会がぱったりと途絶え、児童館もなく、保育園に遊びに行こうとしても、決まった時間にしか空いておらず、遅れて行けば仲間外れにされた。公園に行っても誰も遊んでいない。預かってくれるところも一か所。そこでたった数時間預かるにしても、預けられている子がほとんどいないので、子供同士の交流もない。保育士さんも何故預けるのかと責める態度で聞いてくるので、預けづらい。認可の保育園に行けばもっと扱いはひどくて、嫌味をさんざん言われた。働いていないくせに何故といった風に。息子は他の子と比べても0歳数か月以降、泣きがひどくて、私も精神的に参っていた。そんな時、テレビに頼るのは、そこまでいけないことなのか、当時の私に戻っても、私はやっぱり息苦しくてどうしようもない気がする。夫は仕事がある。こちらに引っ越してからとても協力的に育児に参加してくれたが、最低限の仕事の間はどうしようもない。
 なーんて、色々言い訳を書いたが、やはりテレビに私は助けられていた。
 そのために、我が子の情緒や言葉の出方に余計に苦労したのかもしれないが、私は息子の個性だと今でも捉えている。そしてその個性で、私たち夫婦はどれだけ自分たちの生き方や考え方を見直し、親子関係を考えたか。息子のおかげで、私たちの人生は本当に豊かになったと思っている。